構造化コーディネート研究所(cc−labo)

代表である豊田美智子の個人的なブログです。事業所のURLはhttp://cc-labo.jp/です。

二元論だけで行われる議論を、私は避けたい。


 昨日、私が書いたブログの内容について、ご意見・ご感想をいただいた方々、ありがとうございました。また、そのブログの内容が、さとりんとかずさんのブログに飛び火?しました。お二人とも、その人柄が出ているなあと思いながら読ませていただきました。お二人それぞれにコメントするととっても長くなるし、話の整合性が取れなくなるため、ここでまとめて新たにお返事をさせていただきながら、私自身の考えを書こうと思います。

 ただ、あくまでも私自身の意見ですので、その点はご了承くださいませ。

  • さとりん、ブログ拝見しました。

 私の住む地域も24時間介護体制のところはないです。ましてや施設なんてないし(あっても私は病院・箱物嫌いだから施設には入りたくない)、家族はもちろんムリです。子どもがいるわけじゃないし、いても頼りません。吸引のできるヘルパーステーションも、今だに見つかりません。死を迎える前も長い療養生活が続く病気なので、苦しくても自宅でじっと一人で我慢するという生活を選ばざるを得ないでしょう。仕事しながらではなく、自宅で一人、我慢している最中に死んでいるかも知れません。

 また私は、自分でヘルパー事業所を立ち上げる気はありません。これまであちこちでその経営を見てきているから、大変さ(経営面などで)は良く分かるし、根深い歴史のある世界に足を突っ込むことになるのも分かってるからね。

 でもこの問題(どこで暮らすのかを含めた介護力・経済力等の体制について)をDrと話し合ってもどうにもならないし、埒があかないことが見えています。だから先日、Drとの話し合いの時は、それはあえて別問題とすること(体制はないということ)を前提とした上で、話し合いをしました。それでも話し合いをして下さるDrだと思ったからです(そうでないDrならあのような話はしません)。自分の人生の在り方、どのような体制が可能なのかを考えながら、医療をうまく使っていこうと思います。Drも医療は活用するもの、そうおっしゃってくださいました。


 体制作りではなく呼吸器選択の話に変わりますが、昨日の時点でも、私は「呼吸器はつけない」という選択をしています。でも、「介護力等がないので呼吸器はムリです」と言ってしまうのは簡単ですが、気をつけないとそれがいろんな意味で大きな波風を立ててしまうことになります。何に飲み込まれるか分かりません。生命倫理論、社会運動論、社会制度・保障論、政治思想、宗教等々・・・これらを否定しているわけではありません。また、特定の方にだけこれらの理論や思想が関係してくる、あるいは特定の方だけがそれらを持っているというわけでは有りません。この社会で生きる私たちみんな、何らかの理論や思想(あるいは社会が作り出した常識)に影響されながら生きています。

 私は何かの理論や思想に飲み込まれてしまうのではなく、時にはそれらを活かしながら、生きている限りは実践の中で何かを作っていくということをしたいと考えています。そして私には、それらに飲み込まれかねないということが見えているから、生と死の二元論で呼吸器装着を決定しないことにしています。なので先日は、生と死の二元論に仕事の仕方という軸を足して、4つのセルから人工呼吸器の選択について考え、Drに「気切はしない・呼吸器はつけない」と話をしました。繰り返しになりますが、私の心の中では、どこで暮らすかを含めた介護力・経済力等は「ない」、体制も「ない」ということを踏まえてのことです。

 これまでの政治・経済・環境・・・いずれにせよ二元論だけで物事を解決してきています。そして、それは危険な考え方であると私はそう思っています。近代的な発想パターンから抜け出して、もっと考える軸を増やしておかないと、いろんなこと(今回の場合は人工呼吸器の選択)を考えないと、二元論だけで選択を迫る方々から(そして選択を迫まろうとする自分自身からも)苦しめられかねません。


 生と死の二元論以外に大切なこと(ないしは軸)は何か、それが見えないと生きていくための体制作りも呼吸器選択も変わってくると思います。もし私が「体制があるから生き続ける」と考えてしまったなら、私自身は手段と目的が入れ替わってしまったな、という思いを持つことでしょう。体制があるから生き続けられることは尤もなことですが、私はそれだけだと、きっと生きていくことに耐えられなくなると思います。

 選択に向けた(あるいは選択するまでの)体制づくりも大切だし、選択の発想とその過程も大切だと私は考えています。そして選択の発想と過程をより豊富なものにするためには、情報を探し、自分で方針を持ち、その上で周りの意見を聞くことが大事だと思っています。今の私自身は、それを行動に移す時期にあると認識しています(焦りすぎず、慌てすぎず、的確な時期を見計らいながら)。情報がないところに選択はないですから。

 会社を倒産させるか、何とかして救うか、そういう場面と様子が似ていると、私の仕事上からそう思えます。会社も生と死を選ばないといけない時がありますから。


  • かずさん、ブログ拝見しました。

 Drには患者個人個人の背景までは見えないと思います。多くの患者を抱え、患者そのものさえ見えないこともあるでしょう。これはDr自身の問題もあるかもしれないけれど、医療制度の問題でもあります。また、DrはあくまでもDrであり、ケースワーカーではありません(精神科のDrにはケースワークをされている方もいらっしゃいますが)。だから私は、医療は上手に活用するもの、と思っています。

 そして私は、生か死の二元論だけでDrと話をしないでおこうと思っています。家族にもそうです。親しい友人・知人たちにもそうするでしょう。「介護してもらえる場所や力、そしてお金があればもっと長生きできたのに・・・」といって私のことを悲しんでくれる人(そんな方がいるのかどうか不明ですが)を作りたくないのです。

 また、私という1事例の中では、医療に殺される、家族に殺される、社会に殺されるといった議論を作り上げたくないとも思っています。何か特定のないしは複数の理論だけで、私自身のことを語られたくないからです。


 問題っていうのは、死ぬ時までついてくるもんだと私は思っています。問題がなくならへんかな〜、何でこんなにウチの会社は問題が多いんかな〜っておっしゃる会社には、問題がなくなる時は墓場に行った時ですよ、と言っています。本音バリバリやな〜って他の方に言われたことあるけれど、それが事実だと思っています。

 人が生きている限り、社会が存在する限り、問題はなくなりません。どんな選択をしようとも、問題は付きまとうでしょう。問題は同時並行に起こり、決してなくなることはない。私はそう思っています。そして、そんな中で私たちは選択をしていくことになります。

 だから自分で生と死以外の軸を持って、自らの方針を立て、環境に臨機応変に対応しながら、問題解決の選択肢を作り、時にはその解決を図っていきたいというのが私の気持ちです。


  • まとめると:よく分からない話になってしまいごめんなさい。だからまとめになっていないような(--)

 つまり私は、体制のこと、気切のこと、人工呼吸器のこと、どこで生きるのか、介護力、経済力、そしてどのように生きるのか/どのような仕事をするのか・・・等を、「生と死の軸」と「現在と将来の仕事の仕方の軸」の2つの軸からできる4つのセルの上で、スパイラルに考えていこうと思っています。実際にそうし始めています。情報収集に関しても然りです(まだまだスタートしたばかりですが)。

 そして私は、身体ケア体制を作るのは難しいことであるということもさることながら、自分の思考に対していろんな方面から波がやってくることを想定に入れ、身体と思考の両面で自らのことを考え、そして様々な方とお話させていただきたいと思っています。

 でも最終的には、「運」だとも思っています(私は占い師ではありませんが)。必然的についてくる「運」というものが存在するように思います。


 呼吸器・アレルギー科のDrは、おそらく緊急時には意識が飛ぶから事前指示書を書いといて、とおっしゃっておられました。今の時点では、私のスパイラルから生まれている答えは「人工呼吸器はつけない」ということです。でも今後もスパイラルを回し続けるから、半年に1回ずつ位、事前指示書の更新をしようと思います。毎回、「人工呼吸器はつけない」という結果になるかもしれないけれど(おそらくそうなるでしょう)、更新したという記録・記憶を残しておきたいです。

 事前指示書には、緩和ケアのことも書きたいと思っています。苦しくなっても意識が飛ばないようであれば、オピオイドを使ってください等のことを書いておきたいと思っています。というより何より、年度末地獄の最中に、そこまで文章まとめられるか〜というのが今の私の状況ですが(--)


 スパイラルに考える・・・綿菓子作りを思い出すなあ。全然関係ないけど(^^)